1994年5月1日のサンマリノGPでアイルトン・セナが亡くなってから、25年の歳月が流れた。
セナはブラジル出身のドライバーで、父の影響を受けて小さい頃からクルマに親しんで育った。4歳の頃からモータースポーツに興味を持ち、13歳の頃にはカートを始めていた。カートでは早くから才能を発揮し、1981年にはイギリスに渡ってフォーミュラ・フォードでフォーミュラ・レースをスタートさせた。
ヨーロッパ時代のセナは一気に才能が開花し、イギリスF3では20戦12勝の強さを誇り、ではマカオGPを制覇。1984年にはトールマンからF1デビューのチャンスを掴んだ。1985年にはロータスへと移り、1987年には中嶋悟とチームメイトを組んだ。1988年からはマクラーレンへと移籍し、ホンダ・エンジンを駆った。当時のマクラーレン・ホンダとセナの組み合わせは最高のパッケージで、セナは1991年までに3度のワールドチャンピオンを獲得した。
1994年、セナはウィリアムズへと移籍。セナは開幕戦からニューマシン「FW16」の挙動に悩まされていた。そんな中むかえたサンマリノGPでは、セナはポールポジションからスタート。セーフティ・カーが出て再スタートが切られた後の7周目、高速の左コーナー「タンブレロ」でセナのマシンはアウト側へコースアウトし、ウォールに激突した。セナの乗ったFW16は右側が大破し、セナも身体に大きなダメージを負った。レースは赤旗で中断され、医師らによるセナの救助活動が行われた。セナはコースに飛来したドクターヘリで病院へ搬送され、その後も救命措置がとられたが、午後6時40分に死去した。当時、セナは34歳だった。
1990年代初頭、日本ではF1ブームが巻き起こり、特にセナは甘いルックスから“音速の貴公子”として絶大な人気を誇った。今のF1ドライバー達のなかには、小さい頃にセナの走りを見て、F1に憧れたドライバーも多い。L・ハミルトンはセナのことを尊敬しており、毎年、ブラジルGPではセナをモチーフにしたヘルメットを被っている。
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